紅引き


男は小指に紅を塗る。
腹から爪先まで赤く染まった小指はまるで血を流しているようであった。
男は反対の手で女の頬に手を添える。輪郭を確認するかのように指先でなぞり、最後は指で顎を押して顔を上げさせた。
女と男の目が交わる。潤んだ女の瞳には真摯に見つめる男の姿が映っていた。女の唇が微かに動く。

『はやく』

吐息のみの短い台詞は男には十分に伝わった。男は頷くとゆっくりと、男の小指が女に近づく。
少しずつ距離を詰めていき、女の腫れぼった唇に優しく触れた。ハリのある唇に微かに小指を沈ませ、時間をかけて緩やかに端へと進ませる。
小指が進んだ後には先ほどつけた紅が引かれた。下唇が終わると今度は上唇に移動し、また同じように小指で紅を塗っていく。
女は何も言わない。ただ黙って男のされるがままであったが、その表情はどこか恍惚としている。やがて、上唇も塗り終わると男は小指を唇から離した。女の口から名残惜しそうに吐息が零れ落ちる。名残惜しそうな様子を見せたが男は冷たく突き放す。

「笑え」

最後の仕上げとでもいうように女に告げる。女の瞳が僅かに潤んだ。しかし、一度瞬きをしたら元に戻っていた。
女は男の命令のままに弧を描いて笑みを作る。先ほどまで愛らしい桃色の唇は扇情駆り立てる紅の唇へと変幻してみせた。
女優顔負けの変貌に今度は男が溜息を吐く。感嘆が含まれたそれを、女は幸せそうに目を細めて微笑む。それは、まさしく『女』の顔であった。



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