こえられない壁


この国は巨大な壁に覆われている。自分が生まれるよりも前にあった戦のために建てられたそうだ。そのため、国の出入り口は中央口を入れた東西南北の四方からしかなく、自身が知る限り他国からの侵入を許した失態は一度もない。
中央の城を囲うように城下町、さらにその周囲を壁が立ちはだかる。その壁の向こうは地平線まで続く真白の土地が広がっていた。その閉鎖的で壮大な情景を城の展望から見下ろす。

「そんなクソ寒いところで突っ立ってたら風邪引きますよ、騎士隊長殿」

この場には自分以外誰もいない。背後からかけられた声は自分に向けた者だとすぐにわかった。しかし振り返る気が起きず、それを無視して城下町を眺めていると後ろからわざとらしい舌打ちが耳に入る。

「おいこら無視すんな、騎士隊長殿が無視なんて下の奴らに面子が立たないだろ」
「その呼び方やめろ、お前に呼ばれると鳥肌が立つ」
「へいへい、そりゃあ失礼しましたよっと」

面倒くさいやつだと文句を口にしながら自分の隣に立つ。こちらに一瞥をくれたがすぐに城下町へと視線を移す。

「お前の部下が探してたぞ」
「休憩を取ると伝えたはずだが」
「至急伝えたいことがあるのに見つからないって俺んとこまで来て泣きついて来たんだぞ。行く場所くらいいっておけよ」

わざわざここまで来てあげた俺ってチョーやさしーとチラチラなにかいいたげな視線を送られたがすべて無視した。自分が応える気がないのがわかっていたようで特に残念がる様子もなく前を見据える。

「……さすがに来すぎじゃないか」
「なんのことだ」
「ここに来すぎだっていってんだよ。自分でもわかってるはずだろ」

なにが、とはあえて返さなかった。いったところでこいつには全てばれている。否定も肯定もせず、沈黙を貫く。そんな自分の態度が気に食わなかったのか隣から再び舌打ちをする音がした。

「そんなに惚れてたなら、なんで浚って逃げればよかったのに」
「……なぜそんなことしなければならない」

不覚にも、男からの予想外の言葉に動揺してしまった。顔にはでなかったのが幸いであったが、戸惑いを隠しきれず数拍ほど間を置いてごまかそうとした。しかし、男はそれを見逃さない。

「だってお前、姫に惚れてただろ」
「それはない」
「嘘付け、何年お前と腐れ縁やってると思ってるんだ。それぐらい見ててわかる」

お前結構分かりやすいからな、とニヤニヤと意地悪く笑う男を渾身の力で殴りたい衝動に駆られた。その衝動に身を任せず、なんとか抑えて我慢した自分を誉めてやりたい。
だがこの男がいうからには全てお見通しなのだろう。これ以上ボロがでないように口を閉ざす。なのに男は「それじゃあ答えをいっているようなものだ」と呆れて肩を落とす。

「もうあの方が嫁いで何年になる」
「……明日で二年だな」
「そうだ、もう二年経ったんだ。その間にお前は縁談を何件断った」
「数えていない」
「7件だよ!!お前が断るたびに俺のところに流れてくんだぞ!!お前の!次に!!その虚しさお前にわかるか!?」

若くてカッッコイイ時期宰相の俺を差し置いてお前が先なんて!と一人で騒ぐ男を放って空を仰ぎ見る。気づけば曇天の空から雪が降ってきていた。どうりで寒いわけだと白濁に染まった吐息がこぼれる。

『ディバン』

二年前のこの日も、こんな風に雪が降っていた。
凍てつく寒さに体を震わせながら、手に息を吹きかけるあの方の後ろ姿がいつになくかよわく映った。その腕を引いて、自分の腕の中に閉じこめれたら。そんな、できるわけない願望を胸に抱く。結局、臆病者の自分にはできるはずもなく、せめてもの思いで自身のマントを肩にかけるぐらいしかできなかった。

『手を、握ってくれないか』

あのとき、自身の言葉を遮ってあの方は手を差し出た。
その手がどういう意味で出されたのか、いわなくてもすぐに検討がついた。
そしてあの日からもう二年もの月日が流れる。
それなのに、あの方の呼ぶ声が―――いまでも耳から離れない。

「……イグラエル」
「あ!?」

「俺は、この国の騎士だ」

目を閉じて腰につけている騎士長の証の剣の柄を握りしめる。
そう、自分はこの『国』の騎士なのだ。
たとえ騎士団の一角を纏める地位についていたとしても、自身がこの国に仕える身には変わりない。
そう、俺の主はあの方ではない。
この国なのだ。

「だから、この壁の向こうには行けない。行ってはならないんだ」

閉じた瞼を開け、目の前に広がる景色をこの眼に焼き付ける。城下町も、その壁の向こうも全てが白銀に染まる世界。
あの方が、もう遠いところへと行ってしまったあの方―――彼女が愛した景色。許されるならば、彼女が愛したこの景色を守り続けたい。それが自分にできる使命だと、二年前のあの日に誓ったのだ。
隣からなにかいいただけの視線を受けながら、お互い一言も離さず沈黙だけが流れる。口を開こうとするが、すぐに閉じる。やがて、男は諦めたように肩を落とした。

「……お前のそのクソ真面目な性格嫌いじゃねえけどよ、ほんっと損な性格だよなぁ」
「そういう性分だ」
「へいへい、ほらそろそろ休憩終わるだろ。早く戻ろうぜ。ここは寒すぎて凍えちまう」

自身の腕を擦りながら男は室内に戻っていく。その背中を見送り、再び城壁へと戻す。
何人たりとも侵入を許さない城壁。そして、その壁を超えようとする者を許さないように思えて仕方がない。
だから、自分はここに来るのだ。彼女との思い出を浸ると同時に、自身を戒めるためにこの光景を焼き付けるためにここにいる。
寒さで悴む手を口に近づけて熱い息を吹きかける。指の隙間から零れた吐息が白濁の塊となって雪を降らす曇天へと消えていった。


彼女が嫁いだ隣国で民衆がクーデターを起こしたという知らせが届いたのはそれから三日後のことであった。


inserted by FC2 system