君の体温

頬に冷たい感触が当たる。手を出すと、掌に白い結晶が舞い落ちた。

(ああ、雪だ)

ほうっと吐息を吐き出すと白く濁って空中へ消えていく。冷気で悴む手を口元に運び、熱い息を吹きかける。元々体温の低い身体だ、そう簡単に温まることなどない。

(ここに君がいたらいいのに)

無理だと分かっていても思わずにはいられなかった。
すべてを凍てつかせる寒さが訪れる時期になると私は決まって君の手に触れた。
自分とは違い、体温の高い君の手は暖にはちょうどよかった。君はそのたびに不満そうな顔をしていた。子供体温だとバカにされてると思っているんだろうがそれは違う。
君の手は体温の低い私の手に熱を行き届かせてくれた。君の体温が私に移っているような気がして、喜びで胸が高鳴ることを君は知らないだろう。
しかし、彼が騎士として城に上がってからはそのやり取りもなくなった。仕方がないことだ、なにせ彼は私に仕える身、姫である私に来やすく触れる立場ではない。それでも私は―――


「姫」

物思いに耽っていると、誰かに呼ばれた。何度も呼ばれ続けた呼び名、けれどこの声の主が誰なのかは分かる。振り返らずに空を見つめたままでいると後ろから肩にマントをかけられた。

「そんなところにいたら風邪を引いてしまいます」
「平気だ、私はそんな柔じゃない」

君が一番知っているはずだ、と空から視線を外して振り返る。案の定、立っていたのは眉間に皺を寄せて睨む彼だった。自分の傍にいるとき必ずといって同じ顔をしていて思わず噴き出す。

「ふふっ、君はいつも眉間に皺寄せているな。とても自分より少し年上とは思えないよ」
「そうさせる原因は誰のせいか」
「私だな」
「でしたら」

そこで言葉が途切れた。眉間の皺がまた一本増えて、数拍置いてディバンはため息をこぼして無言で空を見上げた。
灰色の淀んだ空模様からは雪が降り積もっていく。あと数日すれば、この土地一面白銀の世界へと変わるだろう。

「……今日は冷えるなディバン」
「本日は、今年一番の寒さだと聞きました」
「そうか、ならこのあとは温かくなっていくだろう」
「ええ」

それ以上、言葉が続くことはなかった。会話が無くなってしまえば、静寂だけが二人の間を包む。言葉はいらなかった。お互いなにを思っているか、痛いほど分かってはいたから。
しかし、その沈黙はディバンによって破られる。

「姫、私は……」
「ディバン」

ディバンの言葉を遮って名を呼んだ。身体をディバンのほうに向き直し、冷気に晒されたせいで霜焼けになった手を彼に差し出した。

「手を、握ってくれないか」
「っ」

一瞬彼の顔が泣きそうになったように見えた。だが本当に一瞬のことで、瞬きを一回したときにはいつもの仏頂面に戻っていた。やがて、諦めたように顔を伏せm膝をついて頭を垂れた。

「お安い御用です姫」

失礼します、と伸ばした手が自分の手を包み込む。久しぶりに触れた彼の手はあの頃と違ってマメだらけで、自分の手をすっぽりと収まるほど大きな手になっていた。じんわりと相手の体温が掌を通して広がっていく。その事実がなぜか嬉しくて、目を細めた。

「君はいつも温かいな」
「どうせ私は子供体温ですからね」

ぶすっとした顔で自分の手をさする。いわれることをいやがるくせに自分の手を温めるのに余念がない。そんなことをしなくても君の熱は届くよ、心の中で呟いて首を横に振る。

「それは違うよディバン」

ぎゅっと彼の手を握りしめる。無骨な指、剣を振り回したおかげで厚くなった皮、低くなった声、見上げるほど高くなった身長、自分の幼い記憶とかけ離れた君だけど、この熱だけは変わらない。
そっと瞼を閉じて、伝わる熱に集中する。
君の体温が少しでも私の中に移るように。君を、少しでも記憶に止めておくために。
私と君を繋ぐ、唯一のつながりなのだから。

「姫?」
「君の体温は、私を温めてくれるために温かいんだ」


私は、君の体温と共に明日隣国へ嫁ぐ。


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